<わたしってどうでもいい人間なの?>無価値観とのお付き合い

(この記事は2016-05-15作成分を編集したものです)
こんにちは。ビオダンサ・ファシリテーターのなおこです。

わたしは二人姉妹の妹です。
姉とは1歳9ヵ月ほど、年が離れています。

学年は一つしか違わないけれど
大柄な姉と小柄な私とでは
見た目3つほど違って見えました。

そのせいではないと思うけど
両親はいつも姉に意見を聞いていたのです。

「何が食べたい?」
「何をしたい?」
「どこに行きたい?」

姉の意見が自動的に私の意見となりました。

小学校2年生のときに
昼食を食べに行ったときに始めて
「わたしにも聞いて!」 と
目に涙をためて、ふるふる訴えたのでした(笑)

その時に、はっとした父の顔を
なんとなく覚えている。

両親は、まるっきり悪意はなかったのです。きっと。
姉に聞くのは、ただの習慣だったのだと思います。

そんな経験からなのかどうか
どこかに
「私は居ても居なくてもいい人間」
という気持ちが生まれていました。

けっこうな大人になっても、何かある毎に
「わたしって無価値。だれからも相手にされない。」
という気持ちが刺激されるのです。

今でも
自分にとって何か新しいこと・大きなことに挑戦するとき
その気持ちが影をさします。

そんなどんよりした気持ちに気づいたときは
「ほんとうにそうかな?」 と
ひと息ついて、冷静に問いかけてみます

そうすると
そうでもなかったね。
ということを思い出します。

わたしの好き嫌いを考慮して選んでくれたプレゼント
万事休す的なときに「それがあったか!」的なアイデアをくれた一言

両親から、友達から、大きく言えば、宇宙から
さまざまな心遣いを受け取っていたのです。

そして
ありゃ、またわたし、ドラマに入ろうとしてた?
と気づくのです。

同じようなことは何回もやってくるけど
無意識な無価値観に飲み込まれないようになってくる。

記憶のどこに光を当てるのか。
起こった出来事への見方の角度を変えてみる。

ちょっとした練習のようなものだと思います。

ふと思い返すとき
わたしの良き思い出は
ビオダンサつながりが多いです。

自己肯定感も
ビオダンサの仲間つながりで、育っていったかな。

ビオダンサは、魔法ではないです。

自分の人生を自分の足で歩いていくことを後押ししてくれるもの。

動きによって「自分を思いだす」
仲間がいることで、自分の足で立つ強さを得る。

一人じゃ到達できないところに
お互いに導きあうのだ。


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